
どの人も、どの生命も、かけがえのない存在として平等と見るのです。この法華経の人間主義こそ、「次の千年」に必要な「宇宙的ヒューマニズム」であると確信します。
古来、法華経は「諸経の王」と呼ばれてきた。それは何よりも、万人の胸中に光明を贈る「大いなる希望の経典」だからであろう。
法華経は、万人の生命に具わる仏性を徹底的に洞察している。そして、その仏性を万人に開いて、万人の成仏を実現していくことを願う仏意と如来行が明示された経典である。さらにまた、この如来行を受け継ぐことこそが菩薩の真の使命であることを強調し、その実践を讃嘆してやまない。
仏性とは、全ての生命に具わる、普遍的にして根源的なる「希望の源泉」である。この仏性を開けば、全人類が最高の人格を成就し、無上の幸福を勝ち取ることができる。このことを力強く確信する経典が、法華経なのである。
法華経には、邪悪と戦う正義のドラマがある。疲れた人を励ます温かさがある。恐れを取り除く勇気の鼓動がある。三世を自在に遊戯する合唱がある。自由の飛翔がある。燦々たる光があり、花があり、緑があり、音楽があり、絵画があり、映画がある。最高の心理学があり、人生学があり、幸福学があり、平和学がある。「健康」の根本の軌道がある。「心が変われば一切が変わる」という宇宙的真理に目ざめさせてくれる。

Throughoutall of human history in both East and West, there has never been a system of thought that has been transmitted over as great a period of time or space as has Buddhism.
仏法では、すべての人間生命の内奥に、広大なる宇宙を見いだします。「内なる宇宙」には、無限の宝――すなわち「性」が内包されており、なかんずく「仏性」と呼ぶ尊厳なる存在があると説くのです。それは、すべての生きとし生けるものに内在し、光り輝いているものです。仏法は、その「内なる宇宙」と、進化しゆく大宇宙――「外なる宇宙」との一体性を、深く洞察しているのです。

To transmit and spread the teachings of the Lotus Sutra no doubt required the efforts of bodhisattvas of truly extraordinary enlightenment and determination.
我等如来の滅後に於いて、十方世界周旋往返して、能く衆生をして、此の経を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正億念せしめん。

世間の法に染まること
蓮華の水に在るが如し
この華草、因果俱時なること妙法蓮華に似たり。

毎に自ら是の念を作さく 何を以ってか衆生をして無上道に入り、速やかに仏身を成就すること得せしめんと

The Buddhism of Shakyamuni was destined not simply to remain a religion of the Indian people alone. Rather, it possessed characteristics of universal appeal that permitted it to transcend national and racial boundaries and present itself as a religion for all humankind.

Of all the vast number of texts contained in the Mahayana Buddhist canon, the Lotus is generally regarded as preeminent. The Chinese monk T'ien-t'ai devoted his entire life to the task of lecturing and writing commentaries on the Lotus, so highly did he regard it.

「一切衆生皆成仏道」の教えなれば
その時代の闇を晴らし、第三の千年を照らしゆく一書が、御書であると、私は確信する。まさに大聖人の御書は「末法の経典」であり、「永遠の経典」であるといってよい。
かしこに一間四面の堂あり。そらはいたまあわず、四壁はやぶれたり。雨はそとのごとし、雪は内に積もる。
きをうちきりて、かりそめにあんじちをつくりて候いしが、ようやく四年がほど、はしらくち、かきかべおち候え
御供養、すこしも事ゆえなし。(中略)しょうぼうつくり、馬やつくる。八日は大坊のはしらだて、九日・十日ふき候い了わんぬ。
後に、身の入山を機に、大聖人は御自身の悟りの立場から、弟子の育成を図られながら、法華経を講義された。法華経の経文は、既に実感を伴って胸中にあったが、その奥義は、法華経の権威である天台大師や妙楽大師も説ききっていなかった。
大聖人は、仏教の先達の教えを踏まえながら、その奥義の法華経講義を展開されたのである。その講義を直弟子の日興上人が筆録され、師である大聖人の御点可を賜ったのが、「御義口伝」であると伝えられている。完成の日付は弘安元年(1278年)正月一日と記されている。

牧口が御書を師として大難に立ち向かい、法滅の危機の時代に仏法を蘇らせた

ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは、ぼくが、つくっておこう。君が、それをすべて実現していくんだよ。

In the Lotus Sutra, Shakyamuni Buddha proclaims, “I have been constantly in this saha world, preaching the Law, teaching and converting.” We must struggle within society! Always among the people! Never forget that this is the great, eternal path of the Soka Gakkai, with its mission of establishing the correct teaching for the peace and prosperity of the entire world, of all humanity.

法華経は、万人の生命に具わる仏性を徹底的に洞察している。そして、その仏性を万人に開いて、万人の成仏を実現していくことを願う仏意と如来行が明示された経典である。さらにまた、この如来行を受け継ぐことこそが菩薩の真の使命であることを強調し、その実践を讃嘆してやまない。

極理は一つだが、表現形態には種々の違いがある。しかし、すべて法華経なのです。(中略)形態は新たになったとしても、時代状況の中では、それが、より、その思想の「真実」を現しているのです。

諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう。(中略)衆生をして仏知見を開かしめ(中略)と欲するが故に、世に出現したもう。
凡夫即仏なり、仏即凡夫なり。一念三千・我実成仏これなり。
衆生に仏知見(仏界)を開かせるということは、衆生に仏知見がそなわっているということです。(中略)つまりこれは「衆生こそ尊極の存在なり」という一大宣言なのです。

汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし
日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。
人の面倒をみた分だけ ― つまり、人の「生きる力」を引き出した分だけ、自分の「生きる力」も拡大する。これが菩薩道です。「利他」と「自利」の一致です。

仏法は時により機によりて弘まることなれば
妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。

如是我聞(是くの如きを我聞きき)
「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む、その“大闘争宣言”とは言えないだろうか。
法華経成立の観点からいえば、二十八品の法華経は、仏の滅後、仏と同じ境涯に立って全民衆を救おうと「如是我聞」した弟子たちによってこそ、まとめられたのであろう。その意味からも、法華経は「師弟不二」の経典です。

南無妙法蓮華経と申すは、一代の肝心たるのみならず、法華経の心なり、体なり、所詮なり。
妙法蓮華経の五字は、経文にあらず、その義にあらず、ただ一部の意なるのみ。初心の行者、その心を知らざれども、しかもこれを行ずるに、自然に意に当たるなり。
The five characters of Myoho-renge-kyo are the Lotus Sutra appropriate to this age of the Latter Day of the Law, they are the sutra’s essence.

今以って汝等に付属す。汝等応当に、一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし。
南無妙法蓮華経と唱え奉って、日本国の一切衆生を我成仏せしめんというところの願
師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。「すべて実行しよう」と受けとめるのが弟子です。師匠の「口まね」をするのが弟子なのではない。「実行」こそ「弟子」の証です。

能く是の経を持ち、(中略)是の徳最勝にして、無量無辺ならん。譬えば、虚空の(中略)無量無辺なるが如く
一度妙法蓮華経と唱うれば、一切の仏、一切の法、(中略)日月・衆星・(中略)人・天、一切衆生の心中の仏性をただ一音に喚び顕し奉る功徳、無量無辺なり。
人間は「星の子」であり、「宇宙の子」なのです。我が生命は「宇宙の大生命」と一体であり、南無妙法蓮華経の功徳とは、文字通り、宇宙大の功徳である。はてがない。限界がない。

我未来に於いて
長寿にして衆生を度せんこと
仏の説法をば師子吼と申す。乃至、法華経は師子吼の第一なり。
「信心」があれば、乗り越えられない苦難などない。
他人の幸福のために、自分を捧げていく。自由意志で、「菩薩の戦い」に打って出る。その時に、我が生命に「不死」の大生命力が湧現してくる。仏の「永遠の生命」が満ち潮のように、生命を浸してくる。生活だって、よくならないわけがない。

是の人の功徳は
無辺にして窮りあること無けん
十方の虚空の
辺際を得べからざる如し
信心強盛にして、ただ余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり。
未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき。
法華経は、日蓮大聖人の仏法は、裸一貫の凡夫が「人間」として生き、「人間」として叫び、「人間」として「人間」の幸福のために戦い抜いていくところに本義がある。満身創痍です。難との戦いです。不惜身命です。それ以外に「生きた法華経」はない。

是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん。
妙とは不死の薬なり
悩みを乗り越えながら、生きる喜びを毎日、刻々と味わって生きる境涯です。それが本当の「健康」です。
色心ともの「健康」です。色心ともに、はつらつとして、「今世の使命」のために、全魂を込めて生きていくのです。いな、たとえ病に伏すことがあろうとも、生あるかぎり、妙法を唱え、妙法を語っていく。生死を超えて、使命に生ききっていく。その「信心」こそが「不老不死」の境地なのです。

一心欲見仏(一心に仏を見たてまつらんと欲して)
一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり。
〝仏を求める凡夫の一心〟が、そのまま〝仏の一心〟となっているのです。
「心こそ大切」です。慢心ではなく、心の底から求道心を燃やしきっていかなければ、仏法はわからない。

無垢清浄の光あって
慧日諸の闇を破し
能く災の風火を伏して
普く明かに世間を照らす
衆生として実相の仏に非らずという事なし
種子が一年、二年、三年と、歳月とともに大樹になるように、だんだん、だんだん福徳の枝が繁り、花を咲かせ、実をならせるのが「冥益」です。
そうやって生命の大地に根を張った「福徳の大樹」は倒れない。嵐にも、びくともしない。

此の経は為れ尊く
衆経の中の上なり
我常に守護して
法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。
The Soka Spirit is the courage to speak out for the sake of truth. We must strive undauntedly to ensure the triumph of justice.

是の妙音菩薩、是くの如く種種に変化し、身を現じて此の娑婆国土に在って、諸の衆生の為に是の経典を説く。
「妙音」とは、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、末法当今の不思議の音声なり。
自分という「楽器」を、見事に調律し、訓練して、「宇宙の妙音」を宿らせ、響かせ、轟かせるのです。その鍛錬が仏道修行ともいえる。
分野は違っても、全て「慈悲」です。「人間主義」です。「悩める人の最大の味方になっていこう!」という炎が燃えていなければならない。

是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処
うれしきかな、末法流布に生まれあえる我ら。
御本尊が大好き、唱題が大好き、学会活動が大好きという強盛な「信心」にこそ、「随喜の功徳」が無量にあふれてくるのです。

爾の時に仏前に七宝の塔あり。(中略)地より涌出して、空中に住在す。
末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。
「いま・ここ」で永遠なる虚空会の儀式に連なれる。我が身に、我が生活に、我が家庭に、宝塔を光らせていける。これが御本尊の素晴らしさです。どこまでも身近です。現実です。

誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。
譬えば、人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし。
自行化他の両方があって、宇宙のリズムに合致してくる。
「自行」が進めば進むほど、「化他」も進む。「化他」が進めば、「自行」も深まる。

仏の滅度の後に
能く其の義を解せんは
是れ諸の天人
世間の眼なり
日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は、諸天世間の眼にあらずや。
The SGI members who are carrying on the Daishonin’s legacy are the “eyes” of … the world in the 21st century. Hope for the new century rests with the victory of the SGI. Resolutely defeating all unjust slander, let us cause the great light of justice of the SGI to shine in our communities and throughout the world.

弘誓願の深きこと海の如し
福聚の海無量なり
法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず。
広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、わが小宇宙が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。
広宣流布という人間性の真髄の軌道を生ききるときに、そういう「無上道の人生」になっていくのです。ゆえに一歩も退かず、押して押して押しきっていくことだ。遠慮してはならない。
上記は、フロリダ自然文化センター(FNCC)で開催されている「法華経の人間主義」展からの引用です。掲載しているのは、SGI-USAメンバーが入手可能な資料に基づいて確認できる引用のみです。2019年以降の『ワールド・トリビューン』および『リビング・ブディズム』の参考資料については、eリーダー(https://sgiusapublications.pressreader.com/)をご利用ください。